(OB近況)− 外大の方向性、ESSの方向性 − 清水潔さん(1979年卒)

今年64歳になりましたが、まだ現役で東京のOA関連機器メーカーにて中国関連の事業に従事しております。この会社では、1989年からのスペイン駐在に始まり、ラテンアメリカ、アメリカ、中国とトータル23年を海外に駐在し、数年前に帰国してからは本社で新興国事業を管轄する部門を担当してきました。現法では社長や副社長などの経営に携わらせてもらうと同時に、英語だけでなく、スペイン語などの他の言語を学ぶチャンスも頂きました。やはり語学を目指したものにとっては、現地人とその国の言語で直接コミュニケーションができるというのが最大の喜びであり、相手に対する最大の敬意でもあると思いますね。なので今も、なんとか中国語を話せるレベルになりたいと思い、毎週塾に通っています。(が、これはハードルが高い!)

私は小学生の頃から、特に欧州に憧れを抱き、外国語を話せる人間になりたいと思っていました。昔から関西外大は留学を前面に打ち出していましたが、私達の頃の留学枠はたった5名でした。その5名にさえ入れば交換留学でアメリカに行けるとの思いで外大に入り、留学生選考試験を受けましたが、結果、試験は補欠で本当に愕然としていたところへ、運良く国費での豪州留学という話が舞い込んで来て、一年間豪州パースの西オーストラリア工科大学(現カーティン大学)に行けることになりました。従って私が外大の豪州留学第1号ということになります。

私達の頃のESS200名を超す大所帯で本当に楽しいクラブで、皆一生懸命英語に取り組んではいましたが、そのレベルはまだまだで、年に12回開催される他校とのジョイントディスカッションたるものでは、他校のレベルに圧倒されていました。私は渉外部長でしたので、なんとかこのレベルを上げたいと、必死で他校に交流試合を申込みました。結果多くの機会を設けてもらい、年間15−6回のジョイントを持ったかと記憶しています。そんなことから学部もディスカッションセクションの必要性に駆られ、それまでの専門学習セクション制を一部解体し、新セクションを作りました。ですから今のEFEL会長である水野さんとともにディスセクの生みの親でもあると自負しています。

そんな経験から、会社においても絶えず外国語でのコミュニケーションが必要な仕事をさせてもらい、大きな責任も頂きました。しかしこの外国語のコミュニケーションというものは、近未来には必ずAIに取って替わられると思います。既に新しい技術によってある程度の正確な文書翻訳が出来ていますが、次は音声で喋ると同時に完璧に翻訳されるようになると思います。そんな時代に向けて外国語の学習そのものや外大の方向性も見直される時が来ているのでしょうね!(私の友人の同時通訳者も正に危機感を抱いています。)外国語に関わらず、きっとコミュニケーション力を養うための学問・学校になっていくのかと思います。

これからの若い人達には、語学のスキルのみを習得するのではなくて、外国の文化、外国人の思考を良く理解・分析して、しっかりとCriticalにもEmpathticにも議論に向き合える力を養ってもらいたいですね!OBとしてもそんな部分でESSの若い人達を支えていければと思いませんか!これからは、関西外大の学生、ESSの若い人達が一段違うところでコミュニケーションを巧みに支配できる人間になれることを望んでいます。

私はESSのお陰で海外留学にも行けたし、そのお陰で会社に入ってからも海外部門に配属されたし、そのお陰でいろんな国にも駐在出来たし、色々な仕事、充実したプライベートライフを経験できたわけです。ですから外大、ESS、そしてESSの友達、ライバル達には本当に感謝しています。彼らとの出会いがなかったら今はないと思っています。(と言うほど大したではありませんが

1979年英語学科卒 清水 潔

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中国北京での代理店会議にて

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今年スペインバルセロナ旅行にて 30年前の同僚達と食事

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プエルトリコのプライベートビーチにて