(OB近況) 西田(塚田)依子 (1984年卒)「スキ!が仕事!通訳案内士」
「私はおしゃベリが好きだ。」 あまり認めたくはないが、どうやら真実のようだ。念の為に言っておくが、決して「口が軽い。」というわけではない。とにかく人と話すのが好きなのだ。
そんなおしゃベリ好きな私の職業は通訳案内士だ。私の場合は、エージェントさんから紹介された1人から5人程度の個人のお客様を予め決められた日程、時間、予算内で決められたコースを回るというもの。時間内、予算内なら、お客様のご要望で行先変更も可能だし、昼食もガイドの裁量で決められるので、かなり自由にできる。基本コースは同じでも飽きることはない。お客様にご挨拶したら、「おしゃベリ全開!」とはならない。ご挨拶の後、基本コースの確認、コースの変更希望など聞いて行く。最初の目的地に向かいながら、雑談のような感じでお客様のニーズを探っていく。私はお客様との、こういったやり取リが大好きだ。

お客様をご案内して、京都へ
いろんなニーズに応えられるよう情報収集は大切だ。ガイド仲間との情報交換、研修参加、下見などは欠かせない。最終的には自分で行って見てみるのが一番大事になる。 どんなに美味しくて素敵な食事処でも、和式トイレしかなければご案内できない、といった感じだ。
私が通訳案内士を始めたのはちょっとした事がきっかけだった。京都で実際にお仕事をされているガイドさんを、たまたま見かけた。気になって傍で聞き耳をたててみた。
「ヘーそうだったのか!」ガイドさんの知識に感嘆すると共に、「私もしてみたい!」と、強く思った。
調べてみると、通訳案内士の国家試験の合格率は近年10%~25%であった。全く根拠なく「これならいける!」と思ってしまった。おそらく4人に1人の25%だけが頭に残ったのだろう。そこから何十年か振リの受験勉強が始まった。育児は終わっていたが、家事、仕事、晩酌と大人の私は忙しい。どれも、はずせない。時間の確保が難しかった、というと恰好いいが、年とともに早起きになり、朝活を開始できた。本当に幸運なことに最初の挑戦で合格した。
通訳案内士になるまで、21年間は英語教室の講師として、赤ちゃんから大人まで担当していた。未就園児のクラスは保護者の方も一緒だが、本当に苦労した。私は子供が苦手だった。言葉が通じない動物のように自由な彼らには、泣きそうになるほど悩まされた。レッスンを受けるつもリなど、サラサラないのだから、大変なのは当たり前だ。先輩の先生方、指導課の先生方、お店の方々等、周りの方々に支えられ、苦労の末、自由きままな子供たちを、心から可愛いと思えるようにまでなった。現在も小さなお子様連れのお客様も全く苦にならない。また英語面でも収穫があった。講師をしながら、基本表現や語彙力を増やすことが出来た。無駄な経験などないと、つくづく実感した。

ヤマハ英語教室ビデオコンテスト受賞式に参加 新宿
「これならいける!」と根拠なく思った、と言ったが、本当に根拠がなかったのか?
根拠があるとしたら、ESSでの挫折経験かもしれない。1年生の時、ディスカッションで、一言も発せられなかったことは、一度や二度ではない。普段おしゃベリな私が英語では無口になってしまった。頭で考えているうちに、どんどん話が進んでしまって、ひとリ蚊帳の外。情けなくて、帰りの京阪電車ではよくメソメソしていた。そんな私を根気よく励ましてくれる友人がいた。今も大切な友人だ。友人達のお陰で、なんとか続けられたと言っても過言ではない。
ESSに所属していると、何もしないわけにはいかなかった。文学セクションでは、本を読んで、ディスカッション。人数の少ないセクションだったので、英語を発するまで時間が必要だった私でも、少しは参加できた。洋書を読む習慣も、セクション活動がきっかけで、今も続いている。

ESSの仲間達
2年生になると、暗唱コンテストで後輩の指導をすることになる。自分が何も出来ないのは自分が一番よく知っている。新入生が入部する前に、必死でスピーチの勉強をして凌いだ。友人に誘われて、何も知識がないまま、ディベートにも挑戦した。更に調子に乗った私は、交換留学先でスピーチコミュニケーションの授業を受ける、という暴挙にでた。「後海先に立たず」を経験したが、無事帰国して、今も元気にしている。

友情よ、永遠に!
沢山挫折した。最初からうまくいくはずなどないのだ。挫折はしたが、それなリに(これが大切!)何とか前に進んできた。愚痴を聞いて励ましてくれた友人のお陰だ。 ESSでの挫折経験、それぞれの場所で頑張っている友人達の存在が、私の「出来る!」と思える根拠かもしれない。

