(OB近況)野崎泰弘(1995年卒)『外大・ESSへの感謝と想い-現役時代口に出して言えなかったこと』

OB近況報告 野崎泰弘(1995年卒)『外大・ESSへの感謝と想い-現役時代口に出して言えなかったこと

 

<自己紹介>

第26代前期部長を務めさせて頂きました野崎泰弘と申します。

現在はもう無くなっていると思いますがWorld Studying Sectionを1991年に立上げ以降、所属しておりました。

 

現在、米国オハイオ州デイトンに居住しております。1999年に駐在員としてニュージャージー州で米国勤務開始、会社移転に伴いテネシー州へ異動した後2007年に現在在籍している会社に転職、以来ローカル社員としてモーターサイクル部品の販売に携わっております。

 

この度、近況報告の機会を頂きましたので筆を執らせて頂いております。この機会に学生時代、ESS在籍当時を振り返らせて頂き、どのように今に至っているか、現役時代になかなか口に出せなかったことも含めてお話させて頂きたく、つまらない話ですがお付き合い頂ければ幸いです。

 

<何で外大に、自分にとって英語とは?>

外大に入る前の私は中学生の時、友人に勧められて観たあるオートバイレーサーのドキュメンタリー映画を観てバイクに魅了された一バイク好き少年でした。そんな自分がなぜ外大に入ったのか、大した理由はありません。何故か英語の成績が他教科に比べて良かったこと、その成り行きで英語またはその他外国語を話せれば将来の活動範囲が大きく広がると思えたこと、また当時日本一田舎だと思っていた生まれ故郷の香川の中だけで一生を終えたくないという思いから地元大学へは行かず外大に行くことを決めました。

 

思い描いていた外大での生活は学校で英語を学びながら大阪という都会で一人暮らしを経験・満喫したい、アルバイトしながらバイクに乗りたい、卒業後は身についているであろう英語力を活かしながら海外も視野に入れたバイク関連の仕事ができる会社に就職したい、みたいな、本当に平凡な考えでした。自分にとっての英語とは“英語で読み書き会話ができること“以上のものではありませんでした。なので入学時点ではまさか自分がESSに入ることになるとは夢にも思っていませんでしたが住んでいた寮の先輩の一言が事態を一変させます。

 

<何でESSに?入部を決めた先輩からの一言>

外大生活が始まって間もないころ寮の向かいの部屋に住んでいた先輩(後に当時のESS部長さんだったことがわかりました)とこんな会話をしたのを今も覚えています。

先輩:“英語がまともに喋れるようになって卒業していく外大生がどのくらいいると思う?”

私:“え、みんなじゃないんですか?”

先輩:“2-3割や。外大の授業だけで英語喋れるようになって出て行く人は少ないっていうことや”。

今から思えばそれを検証する方法もありませんでしたが“外大に入る”イコール“外国語が身につく”と思い込んでいた自分にとって、これはショックでした。更に、先輩の話は続きます。

“経済学部のやつが英語話せたらどうする?経済の専門知識もったやつに勝てると思うか?”

要するに、授業だけでは不十分、更にいろいろなことを勉強し、その知識を高いレベルの英語を伝達手段として伝えられるようになることで外大生としての価値が出る。結論としてESSに入部するのが最適、またESSに入れば必ず英語を話せるようになる、というものだったと記憶しています。

 

在学中にオートバイレースをやってみたいとさえ考えていた私は自動二輪サークルに入ろうと思っていたのですが会話力も含め実践的な英語を身に付けずに大学を出た後のことを考えるととても怖くなったのを覚えています。今から思えばScare Tactic的な面もある先輩からの一言、ESSへの勧誘でしたがそれがESSに入った直接のきっかけです。ESSに入部したことでバイクやアルバイトに注げる時間は減ったものの、入部したことは大正解だったと言えます。私が外大に期待したものは授業を通して読み書き及び実践的な会話ができるようになること、でした。それだけでも高校以前、英語を口にしたこともなかった自分にとっては大きなことに思えましたし、親に学費を出してもらっている以上最低限成し遂げなければならないことだとも思いましたが、正直なところ英語を極めるとかコンテストで賞を獲るとか言うレベルを求めていたわけではありませんでした。

 

<そして始まったESS活動、World Studying Section設立>

体験入部から本入部、ジェネミ、へと進み、最初は“My name is Yasuhiro Nozaki”しか英語で言えなかった私は先輩方の英語力だけでなく、同期にいた海外留学経験者、英語弁論大会での入賞者や特待生がいる中でかなりビビッていました。そんな中、ボイスコントロールや子音飛ばし、等基本的なところから教えてもらい、英語を使ったゲーム等も交えた活動をする中で何かしら話せるようになり、半信半疑だった同先輩の言葉も本当だったと思えるようになって、このまま続けたいと思うようになりました。でもまだまだ実践レベルからは程遠い中、セクション選択を迎えます。

 

元々勉強が好きではない自分にとって、当時あったセクションの中から一つ選択するのは容易ではありませんでした。正直ジェネミがずっと続かないかな、とさえ思っていました。迷った末、論理的思考力とある命題に対してAffirmative/Negativeの双方向から物事を観、考えるスキルを養えると思われたDebateセクションを選択しました。セクションキャンペーンではあまり感じなかったものの、実際の試合を見た際、書いてある原稿をマシンガンのような勢いでひたすら速読みする姿にショックを受けたのを覚えています。たまたま観た試合がそうだっただけかもしれませんが、発音は二の次、限られた時間内に読み切る、言い尽くす、そして試合に勝つことに主眼が置かれているように感じられ、これが最終的に目指すものになるのか、と、後に“これは違う”、と思い始めました。

 

当時は原則として他セクションへの移籍は認められていませんでした。唯一移籍が認められていたのは新しいセクションができた場合です。前述の理由でESSは続けたかった、でも違和感を感じながら続けると後悔すると考え、新しいセクションを作ることを決意しました。当時あったセクションではDramaとAfter-Reading Discussion以外は政治・経済や社会問題にテーマが偏っていたと感じていて、自分としては分野を問わず勉強したいことをする、それを英語で表現し、資料等も使いながらAudienceに伝え、質疑応答という形でAudienceとコミュニケーションをするプレゼン形式が理想と考えていました。新セクション企画審議の際、どうして新セクションが必要なのかを理解頂き、承認頂くまでに5回くらい再審を繰り返したと記憶しています。意義・方針・方向性という新しいことを起こす際の基本と、いかにそれを伝えるかを学ぶ大きな機会となりました。

 

<取柄の無い自分が何で部長に?英語が全てか?クラブ最優先か?>

セクションを立ち上げたことで自動的にセクションリーダーとなり、コミッティーの一員となります。会議等を通して部内の様々な問題があることを知ります。今は違うかもしれませんが、当時、同期で入部する人数と一緒に引退する人数が全然違っていて私の代でも2回生の時点で退部者がすでに複数出ていました。同じ英語スキル向上の志を持って入部した部員が引退を待たずに辞めていくのです。思っていたのと違った、負担が大きすぎる、クラブ以外にもやりたいことがある、留学に専念したい、という理由が多かったと思います。当時なかなか口に出して言えなかったのですが、クラブを続けるためには英語第一でないといけないのか、クラブ最優先でないといけないのか、身勝手な理由とそうでない理由の差がどこにあるのか、等疑問を持つようになりました。男子・女子、自宅生・下宿性、短大生・学部生というだけでも各部員違った環境にある中でそもそも部則や方針が多様性を受け容れるものになっていたか。。。

 

英語を使って今・将来何をしたいか。学生のESSとはそのしたいことをやる、また将来の訓練の場を与える場であるべきです。また到達したいレベルは人それぞれだと思います。コンテストで賞を獲ったこともない平凡な私が部長に立候補したのは、クラブが嫌になったわけでないのに辞める選択をする人を減らしたい、少しでも受け皿を広げたいと思ったためでした。実際どこまでできたか分かりませんが退部届を一発で承認したことはほとんどなかったと思います。退部希望者の事情・本心をできるだけ理解しサポートのしようがあるかないかを慎重に考えていたつもりです。また、特に留学に専念したいがために辞めるという部員が多かったと記憶していますが彼らにクラブを続ける意義を伝えるのが難しかったです。私自身も3回生で留学、同期と一緒に卒業したいと思っており、クラブ役員という立場でクラブと留学を両立させることで、クラブを辞めて留学に専念する必要が無いことを示しかったのですが、最終選考で落ちてしまいました。4回生で再挑戦の結果、留学自体は叶ったものの、一回目の失敗で部員の皆さんに両立困難という印象を与えてしまったことが悔やまれます。今はITの発達等で当時に比べてより大きな多様性を受け容れるクラブになっていることを願っています。

 

<再挑戦で叶った留学>

 

ESSメンバーに対する複雑な想いと共に。

 

<外大、ESSへの感謝>

外大ESS幹部経験者としては珍しく極平凡なサラリーマン生活を送っている私ですが、在籍当時に学んだことは今も自分の中の基礎になっています。月並みかもしれませんが、クラブ活動を通して自然と学んだ組織としてやっていくために必要なもの、相手の事情を理解することの重要性、やりたい気持ちがあれば道が開けること、やりたいことをやるには責任が伴うこと等多くのことを学びました。また、教えられる立場から教える立場まで経験できたり、組織運営に携わることで様々な問題と向き合いながらよりよい組織を考える機会を与えられたり。。。クラブがまさに社会人生活の縮図であったことを実感しながら今日に至っています。英語のスキルよりもそれ以外の面で得たもののほうが大きいかもしれないと感じることさえあります。そこがクラブの魅力であり、途中で辞めてしまうともったいないところです。正直、私の英語スキルは人並み以上とは言えないかもしれませんが職場ではその環境から必然的に英語を使った生活をしています。私の外大入学時の期待と比較するとそれだけでも十分と言えるかもしれませんが、ESSに在籍している皆さんの殆どはそれ以上のレベルを目指しておられることでしょう。それぞれの目指すところを目指して、また英語を学ぶだけでなく将来必要になってくる組織の中で生きていくことに対する訓練の場ということを意識されるとよりクラブというものを有効に活用できると思います。今は憧れていたアメリカで、英語を使ってモーターサイクルメーカーと共に仕事をし、好きなバイクに乗り、釣りをし、家族と平和に過ごせています。それを現実的に可能にする土台をつくってくれた外大、ESSでの体験、留学経験、ひいてはその中でご指導頂いた諸先生方、先輩方、支えてくれた同期や後輩の皆さんに大変感謝しています。

 

<一つ下の後輩と迎えた卒業式>

             

顧問の中村先生と後輩達。中央紺のスーツが私。    ケリー先生と。

 

<最後に。。。>

ここまで、特にクラブ役員としての立場上、当時口に出して言えなかったことも含めお話させて頂きましたが、現役の皆さんはどんなお気持ち、期待、不安等持ってクラブ活動に取り組んでおられるでしょうか?これまでに近況をご報告された諸先輩・後輩の方々のように夢を与えられるようなお話ができず大変恐縮致しますが、ESSを最後まで続けて本当によかったと思いますし、続けたことで自分なりにクラブの魅力を最大限感じられたと思っています。また皆さんが外大を出られた後、私と同じように感じておられることを願っています。

 

また、この場をお借りして、このような私を信頼し、Worldセクションに入って下さった後輩の皆さんへの感謝の気持ちを伝えたいと思います。また自分の未熟さのせいで思うようにスキルを伸ばせなかったであろう後輩達に対してお詫びしたいと思います。当時から四半世紀以上が経ちましたが、私の在籍時、またそれ以降に入って下さった元セクションメンバーや仲間と会って当時を振り返り、“今だからできる話”ができる日がくることを心待ちにしています。