【現役生へのエール】家中潤(1998年卒)

ESS現役生の皆様へ

 

遠回りでもよかろうもん

家中 潤(1998年卒)
久留米大学附設中学校・高等学校 勤務

 

勤務先の紹介
1998年卒の家中潤です。現在は福岡県久留米市にあります、私立久留米大学附設中学校・高等学校で英語科教諭をして勤務しています。

久留米市は福岡県の南部に位置しており、博多から久留米までは九州新幹線を利用すると20分弱かかります。本校は私立で系列校もありませんので19年目の勤務となり、今年度は高校1年生の担任をしています。

勤務校校舎

高校時代から外大入学まで
高校は福岡県立伝習館高校に通っていました。中学時代から英語が好きで、私が入学する年度に英語コースが設置されるということだったので受験し合格することができました。しかしながら入学式の日に衝撃の事実がわかったのです。初年度ということで何の情報もなく、中学時代に文系・理系ということもわからず、ただ入試当日および合格者の招集日になんとなく「男子少なくないか?」くらいの印象しかなかったのですが、クラス45人中男子が5人しかいなかったのです。そのような高校生活のスタートでしたが、担任の先生がとんでもなく厳しい先生でした。その先生から3年間担任をしていただき、クラス替えもなく高校3年生となり受験大学について考えていました。私はその頃から英語の先生になりたいと思っていて、そのことを先生に伝えたところ某国立大学の教育学部を薦めていただき勉学に励んでいました。しかしながら、さすがに国立1本勝負できる学力ではなかったので、私立の併願大学を探していたのですが地元九州には行きたいと思える外国語系の大学が少なく、1人暮らしへの憧れもあったのでエリアを広げて考えていたところ関西外大を見つけました。公募制の推薦入試で合格をいただき、その後センター試験も受験しましたが、前出の国立大学とは縁がなく外大に入学しました。

男子5名のクラス(バックは北原白秋生家)

ESSとの出会い
九州の田舎から枚方へ引っ越し、大学生活がスタートしました。同じ高校から短大に1人行きましたがほとんど面識のない人で、私は実質一人ぼっちだったということもあり、部活かサークルには入ろうと考えていました。新歓でいろんな部やサークルから勧誘された中でESSの先輩と話していると、なんとその先輩の出身校は違うもののご実家が私の実家から非常に近く、最後に「ESS入らんでも仲良くしよう」と言っていただいたのです。そのことと高校時代に英語に関してはかなりレベルの高い授業をうけており、大学入学後はレギュラーの講義しか受講していなかったため物足りなさを感じていました。そのタイミングでESSに勧誘していただいたので入部することにしました。

レシテーションコンテスト

ESSのおかげで充実した大学生活
まあ大学の部なんてそんなものかもしれませんが、甘いか甘くないかわからない囁きで入部してみるといきなり「レシテーションコンテスト」なるものが実施され、その準備で片鉾学舎のセミナーハウスにある、お化けが出るとうわさの和室で合宿でした。ほぼ徹夜で先輩方にご指導いただいたのはいい想い出です。その後は他大学の1回生とのジョイントディスカッションが実施されました。
セクション活動はディスカッションセクションに所属していました。8月OB近況報告に寄稿された与十田先輩(1997年卒)がセクションリーダーをされていました。毎年決まられるトピックに関して情報収集し、自分なりに立論し、論理的に議論をすすめていく。このディスカッションセクションで得た「論理的思考力」は社会に出てから非常に役に立っています。
通常の活動に加えて、外大祭においては英語人形劇や屋台、日本語禁止の合宿、同期のメンバーでキャンプに行ったり、岡山に旅行したり、ESSのおかげで充実した大学生活を送ることができました。

卒業式(右端が私)

就職氷河期なんとか食品メーカーに
現在教員生活を送っている私がなんで就活と思っている人もいるでしょう。たしかに私は英語の教員になろうと思って、外大に入学し、教職の単位を取り、教育実習も無事に終えました。現在は私立の学校にお世話になっていますが、私自身は中高ともに公立校でしたので最初は福岡で県立の高校の先生になるつもりでした。しかしながら、福岡県の教員採用試験に落ちて、何人かの方と相談して1度社会に出てみようと思い、大学4回生の8月から就活を始めました。当時は「就職氷河期」を呼ばれていた時代です。なんとか大阪に本社がある大手の食品メーカーの子会社から内定をいただきました。

社会人生活スタート
広島で社会人生活がスタートしました。上司も先輩方も優しい人が多く、仕事にも慣れてきました。しかしながら、英語を使う機会はなく、個人的に勉強はしていましたがこのままでは英語力が維持できないと心配していた2年目の夏でした。勤務中に実家から電話があり、実家の近くの学校で産休の先生の代わりに働いてくれる先生を探しているとのこと。その翌日までに返事がほしいとのことで、「そんな無茶な」と思いながらも、会社を辞める決心をして、翌日先方に電話しました。会社からも快く送り出していただきました。

教員生活スタート
そのようにして私の教員生活がスタートしました。9月後半からの勤務で、前任者とも引き継ぎもじゅうぶんとは言えず、不安しかないスタートでした。しかしながら、幸い私が高校時代に指導していただいた先生が数名在籍されていたのでサポートしていただきながら勤務することができました。大学時代に2週間の教育実習は経験しましたが、いざ教員として勤務すると授業以外の仕事の多さに驚きました。また教員生活はスタートしたものの身分としてはまだ臨時採用の1年更新のため、早く教員採用試験に合格して身分を安定させないと、という思いがありました。

私立校勤務に
最初にお世話になった学校で3年、次に自分の母校で1年勤務したものの倍率の高さもあり、採用試験には合格できませんでした。そろそろ私立も視野に入れてと思っていた矢先に、人づてに今の勤務校で英語科の教員を募集しているので受験してみたらと勧められました。私は基本的には楽観的な性格なのですが、勤務校の進学実績、生徒の学力の高さを考えると、「私に勤まるかな」とか怖じ気づく部分もありました。しかし、「まだ採用されると決まったわけでもないから」と思って履歴書を提出し、試験をうけて採用していただきました。
2年目からクラス担任をさせていただき、いろいろ苦労はしたものの卒業式ではそれまでの苦労がすべて吹っ飛ぶ以上の感動を味わうことができました。18年と数ヶ月の勤務の中で、勤務校は中高一貫の男子校からまずは高校が共学化、中高完全共学化と大きな変化を経験しました。個人的には、3回卒業生を出し、4年間生徒指導部長を務め、「文部科学省英語教育推進リーダー中央研修」を受講したりして、貴重な勉強をさせていただきました。
しかしながらこの1年半はコロナに振り回されて大変な思いをしています。喫緊の問題としては2学期に実施予定の体育祭のことや中学生の修学旅行といったところです。現役部員の皆さんも大変な思いをされていると推察いたします。
私立校に勤務しててよかったなと思うことは少なからずありますが、その中から1つだけ。それは、学校法人にもよりますが転勤がないことです。まあこれには一長一短ありますが、最近は公立の学校では転勤のサイクルが以前より早くなっているらしく、卒業して数年後に学校に行っても知っている先生がほとんどいない状況があるみたいです。それを考えると転勤がない私立っていつ行っても知ってる先生がいるからいいのかなと思います。
もっと言うと、本校の入学式の日にOBの保護者が「子どもが入学しますのでよろしくお願いします」と挨拶にお越しになることがあります。親子2代で同じ先生に教わるというのは私立ならではと思います。

修学旅行(令和2年11月 渡月橋にて)

衝撃の事実、ESSのご縁に感謝
ESSとの出会いの章で、ESSの先輩と紹介させていただいた先輩は入部後も大変親切にしてくださったのですが、残念ながら入部の翌年(先輩が4回生、私が2回生の年)交通事故で逝去されました。昨年、現在担任している学年を中学3年生から受け持つことになり家庭調書という生徒の家族構成等が書かれている書類に目を通していると見覚えがある住所が。亡くなられた先輩のご実家の家業と同じだったため保護者に尋ねたところ、その保護者は先輩が亡くなられたため家業を継ぐために養子になられたとのことでした。ESSのご縁に感謝です。

現役生の皆さんへ
地方の1教員からみなさんに2つ伝えたいことがあります。
1つは、「迷ったらチャレンジしてほしい」ということ。「上手くいかなかったらかっこ悪いな」とか「傷つきたくないな」と思う人はたくさんいます。でもどうでしょう。皆さんの年代だったときのことは忘れましたが、社会に出たら間違いなく上手くいかないことのほうは多いです。そこからどう挽回するかを周りが見ているように思います。傷つくのが嫌なら、何もしなければいいのです。私たちに置きかえると、生徒に失敗させたくないと思ったら、生徒に何もさせなければいいのです。全部教員がやってしまえば簡単です。生徒は失敗しないし、それによって他の教員から自分が批判されることもありません。でもそれってどうでしょうか。それで生徒は成長するでしょうか。適度に失敗しながら周囲はその失敗を広い心で受け入れみんなで成長していく生徒とともに成長したいなを思っています。

もう1つは、「無駄なことなどない」ということ。しばらく前から「コスパ」という言葉をよく耳にします。物やサービスを買うときだけでなくいろんな場面で使用されています。我々が何かをやるやらないかを決めるときの判断材料の1つとして用いられています。皆さんはいかがでしょうか。10年後、20年後の世界を見通すのが大変難しい中で現在自分にとって必要ないと思えることは、本当にこの先ずっと「必要ない」ことのままなのでしょうか。与えられた仕事や課題を自分だけの判断で「これは私には必要ない」とするのは危険な気がします。なんでもかんでもとは言いませんが、心と時間に多少の余裕があれば将来への投資と思って取り組むのも1つではないでしょうか。非常に世知辛い世の中で「そんな余裕ねえよ」という人も少なからずいるでしょう。真っ直ぐ前だけ見て歩くのもいいですが、立ち止まっていろんな物見ながら多少遠回りするのも悪くないですよ。

最後まで読んで頂きどうもありがとうございました。
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ienaka_jyun@kurume-u.ac.jp

家中 潤