第3代部長 余崎洋一さんとのインタビュー ◆◆新企画 第3弾◆◆

◆◆ 新企画 第3弾です! ◆◆

第3代部長 余崎洋一さんとのインタビュー    2023年3月10

本日は、このインタビューシリーズ第3弾として、第3代部長を歴任された余崎洋一さん(1972年卒)にインタビューさせて頂きました。 神奈川県海老名市で余崎さんが奥様と一緒に運営されているカジュアルなダイニング・バーで、開店前(WBC韓国戦が開催日)に熱く語って頂きました。

1.  ESS現役当時の様子

1968年関西外国語大学、英米語学科に入学、しかし夢に見た大学キャンパス生活と現実は少し様子が違いました!広大なキャンパスを思い思いのファッションで学生達が明るく話しながらそれぞれ立ち並ぶ校舎群に向かって行く姿、芝生では青空の下読書に親しむ学生達、カフェテリアでは留学生を囲んでフリートークなんて姿は当時は残念ながら存在しませんでした⤵。 余り大きくないキャンパス!校舎の横に芝生に覆われた少し小さめの中庭と池、そしてそこから下るとこれも余り大きくないグランドがありました❗(これは私、個人の感想です)

とは言いながら、英語に興味がありせっかく入った大学、よし!何とか切り替えて楽しい大学生活を🎵と、皆より少し遅れて入部したのがESSです‼️

 

同期の仲間、親切な先輩のお陰で即部活に溶け込めました!部活の顧問の先生方と気さくに会話する先輩達に大きく刺激され、事有る毎に外国人の先生方や留学生、喫茶店で働く講師の娘さん(米国人)に話しかける事で益々キャンパス生活が楽しくなりました❗ 最初に感じた大学への失望感は全くどこかへ行ってしまいました☀

そのうちクラス仲間より部活仲間中心の大学生活となっていました!

そして気付いたら部長❗部員数200名超! 数有る学内部活では一番の大所帯、学生食堂のセンター2レーンは殆どESSで占有❗ 大学近くの飲み屋、飯屋、バーは日々必ずどこかでメンバーが飲み会!クレイジー⤴

時は70年安保大学紛争真っ只中!副部長3名、セクション長5名、イヤーリーダー等約10名皆しっかり意見をもった強者揃い❗意見調整に明け暮れた一年でした‼️

部長時代の思い出は、当時話題の中心だった同時通訳者の國広正雄先生を招いて講演会を開催しました。大阪万国博覧会の英語案内係(京阪電鉄から学園長経由で6か月間三条、四条、淀屋橋駅にて外国人旅行客の通訳) 部員有志でシフトを組んで対応して、京阪電鉄よりクラブに感謝状授与されました。部活に関わったお陰で英語がより身近な物となりました‼️

2.  卒業から現在までの経歴

部長退任後、全国に広まった’70年学生安保闘争も陰りを見せ始めた頃、関東地区と関西地区で海外に感心の有る部活関係者で、これからの学生は海外に出ていくべしと学生による学生の為の旅行会社を立ち上げるべく、既にスタートしていたヨーロッパ学生旅行連盟と業務提携しました❗

ヨーロッパでの航空券、ホテル、美術館等を学割で利用出来る国際学生証の発行権獲得!

夏休みにヨーロッパ、アメリカへ学生だけのチャーター便を毎年数本飛ばせる様になり、次に、より学生の海外旅行をサポートするべくパリ・ロンドン・マドリッド・ロス・に事務所を開設!海外事務所では現地の格安ツアー、語学留学の手配も手掛けました❗  沢山の学生達が訪れ、多くの生の旅情報が集まりました❗それ等の情報を参考に地球の歩き方が編集、発行されたのもこの頃です。

約10年間はその一員として活動、主に英国の語学学校選定(実際30校余りを訪問)、決定した10校には毎年訪問して学生達のケアーも務めました🎵    やがて世間がやっと学生マーケットに注目し始め、航空会社、大手旅行会社、リクルート、大学生協と動き出した時点で、我々のパイオニアとしての役割は終了と感じ解散!!

そんな充実した日々を過ごせた自身は、引き続き海外に広げるべく次に入った会社は広告代理店時は高度成長期❗海外進出を目指す企業に海外向け広告を斡旋する小さな会社‼️   広告スペース販売を主体に事業展開、そこから更に拡大して海外の国際見本市への出展誘致 及び 出展手続き、展示物の輸送、展示ブースデザイン・施工のサポートと必死に動き回り気付けば20数年ヨーロッパ、アメリカ、東南アジアに行っては帰り、帰っては行くという目まぐるしいけど貴重な海外実体験の時代でした❗

大企業では無く小さな、小さな会社での日々でしたが、自分で動いて次々前に進めた環境に感謝です!が、厳しい時代もありました⤵

約30年前、ベトナム政府のドイモイ政策に注目、当時関連の有った現地建設会社とタイアップ、日本企業(主に工場)のベトナムへの誘致を手掛けたプロジェクトは10年早すぎで失敗に終わりました😭😭😭

あの外大ESSとのきっかけが無かったら素敵な経験は出来なかったでしょう☀💯☀ バブル崩壊と共に最後に立ち上げた会社は泡と無くなりました💙

 

現在は家族でダイニング・バーを営んでいます🎵

過去の業界から離れ、暫く全く海外とは縁の無い生活でしたがこのお店に来店の米軍関係者や海外から出張の外国人からの口コミで外国語を話すオヤジの居る店❗と結構外国人が訪ねてくれます‼️ お店のお客さんの大半は若者!中々外国人と話す機会の無い彼等に外国人が来店した時は気軽に混じる様勧め小さな国際交流の場を提供しています🎶

<1983年 南フランス・カンヌで>

3.  ESSでの経験がどう生かされたか?

開設され未だ数年の外大ESS部の歴史も浅かった当時、英会話のスキル向上を目指し活動はスピーチ、ディスカッション、ドラマ等に分かれていました!

私が部長の時、一部の先輩達の助言も有り、同期の幹部達で出した結論は、外大のESSは英語を使い英会話が上手くなるのを目指すのではなく国際人として内容有るコミュニケーション力❗つまり、大人としてしっかり自身の意見を持ちその考えを英語で表現し諸外国の人々との交わりを深める事が出来る能力を養う❗そこから政経、社会学、文学等それぞれ関心の深いカテゴリーに分けた新たなセクション制に切り替えました‼️

実際はなかなか上手く運営出来ず苦労しました!でもこの考えは後の私が海外と関わった30数年で、国際人となるに大切なのは基本となるしっかりとした自身の考えを持つ事が重要❗ その自分の考えを英語と言う道具を上手く使って多くの人々と繋がると言う️考えで過ごしてきました‼️

今まで仕事絡みで世界中の人々と接して来ました!仕事を通して繋がった人々でもオフの時間にカフェ、レストランやバーでのお互いの考えをぶつけ合う事によりビジネスが発展したケースが多々あります🎵 要は人間同士の信頼関係の構築が先ず大切!

年齢、人種、どちらが上、どちらが下かは関係無し❗ コミュニケーション力を強化する事でより世界は広がる‼️ その為英語は大切な道具として今も私の中に位置しています🎵

学生時の部活が結果として卒業後の私の海外との関わりに対する姿勢を方向付けてくれたと思っています‼️

4.  今後の予定は?

74歳の現在!息子から引き継いだダイニング・バーをジジ、ババ(イベントや忙しい時は3人の息子達も参加)で身体が動く限り働くつもりで居ます☀

このお店は今年でやっと10年目❗人生最後にまさか自分がバーを!なんて想像もしませんでした‼️

お店には色んな年齢、職業、国籍の人達が来てくれています!20名強のキャパですが、そこでは無理無いかたちでそれぞれの環境とは全く違う人同士の会話の輪が広がり気付いたら、仲間になっているケースも多々あります❗

加えて外国人のお客さんも多く来てくれます。米軍関係者、某有名自動車会社にアメリカから出張毎に来てくれる人、某プリンターメーカーの英国からのスタッフ、モロッコから来日(アラビア語、仏語、英語、日本語)して頑張っている人、5年前にクラブで日本人と知り合い2年の遠距離恋愛の末再度来日したフランス女性、22年米国オレゴン州で育ち日系人だから日本を知らなくては!と来日5年目のアメリカ人等々他にも沢山の外国人が来店。

お店では極力その時居合わせた日本人と混じりあって交流してもらう様にしています❗

海外、英語とは縁の無い晩年が!と思っていたところがまさかのかたちで外国と繋がるとは⁉

ちっぽけな場所(バー)ですが、日々来店してくれる若者達と口コミで訪ねてくれる外国人達の交流の場を体力、気力の続く限り提供出来ればと願っております‼️

<お店での外国人お客様との交流風景>

<お店の恒例の周年イベント>

5.  50年も隔たる後輩達へ

現在の関西外大は学生達の学力も素晴らしくアップし、キャンパスも私の在学当時からは比べ物に成らないほど広大な敷地となりましたね❗

それに従い当然ESSの存在意義も全く変わって当たり前❗現況に即したESSのあり方は昔の私には想像し難い感があります‼️

英会話が上手くなりたいなんて今は昔の目標❗養った語学力を充分に活用して自分達にしか出来ない何か例えば海外の若者達との交流会!日本に興味を持つ若者達(海外の大学内に存在する日本語研究会、日本文化交流会等)と定期的にオンラインで交流する❗

日本国内で開催される国際イベントへの参加協力等、キャンパス内に留まらす積極的に色んな団体や自治体と連係して活動の輪を広げましょう🔥

〇〇年のESSは海外とこんな事をやりました🎵と言った感じで、その歴史がつみかさなって行けば、他とは違った関西外大ならではのユニークなESSと成るのでは?

頑張ってください💪💪💪

6.OB.OGの皆さまへ

関西外大ESSと言う共通項の繋がりは一生続きます!お互い置かれた環境下、我々卒業生は言って見ればWBC侍ジャパンメンバー❗後輩たちの良き先輩としてしっかりとした生きざまを示し.現役生の来るべき将来にむけ良き見本と成るべく頑張りましょう⤴

そして可能な時は後輩たちに各々の色んな経験を、機会を見付けて彼等に語ってあげましょう‼️

インタビュー後記:

余崎さんとは6年離れている為、学生時代に接点はありませんでしたが、卒業後に交流させて頂いております。学生時代から今までの人生を長時間に亘って熱く語って頂きました。

74歳を超えても、学生時代と同じように、気持ちは若くエネルギッシュな余崎さんに

『あっぱれ!』です。

いつも、このお店には多くの若者達や外国人のお客様で満席です。今回のインタビューを通して、その満席となる理由が再確認できました。それは、余崎さんと奥様の温かい人柄とおもてなし、そして奥様のお手製料理と気取らないアットホームな雰囲気です。

余崎様ご夫妻には、この人気店を末永く続けて頂ければと思います。

 

◆ここで、読者の方にプレゼントです!◆ 

このお店で『ESS OBOGで余崎さんのインタビュー記事を読んで、良かったよ!』 と言っていただければ、生ビール 又は テキーラを一杯サービスしてもらえます。 是非お店に立ち寄って、余崎さんにインタビュー続編を聞いて下さい。

それでは、以下にお店の紹介を致します。 尚、インタビュアーはPR料金頂いておりません(笑)

インタビュアー 水野明洋

 

【店名】40oz フォーティオンス

【営業日時】夜7時から翌2時迄 (月、第1.3.5日曜日休み)

【住所】神奈川県海老名市中央1-14-21   サンボウビル1F  

    ~ 海老名(相鉄・小田急)駅東出口から徒歩約5分 ~

【電話】0462-40-7270