【OB近況】夢は世界の営業マン 遠藤秀剛 1990年卒

1990年卒の遠藤秀剛です。

妹(川鰭祐子)のエッセイが先に掲載されましたので兄貴も頑張って書きます。

元々英語大好きで小学5年の頃からVoice of America, 百万人の英語等を好んで聞いていました。幼少の頃、両親が日本フィリピンの友好会に入っていた事もあって動機付けがあったと思います。念願かなって外大に入り、迷わずESSに入部しました。兎に角毎日が充実していた事を覚えています。クラブのメンバーも英語を頑張ろうとする人の集まりでしたからとても刺激になりましたし、一緒に頑張れたと思います。

卒業して大阪守口市に本社が有りました電機メーカーに就職しました。(後に門真の電機メーカーとなりましたが)。私が大学時代から夢見ていた事はただ一つ。とてもシンプルな夢ですが、アメリカで営業マンとして活躍をしたいといったおぼろげなものでした。
20代後半に約5年間の英国赴任に続き、アメリカ(シカゴ&アイオワ)に赴任させて頂き念願の“営業”をしっかり経験させて頂きました。アメリカでは米国法人と協業推進を行いつつ、“電機”の枠を超えても良いので新規のビジネスを立ち上げよとのミッションを頂き、様々な活動をさせて頂きました。例えば、アメリカで立ち上げ後に日本の逆輸入したリテールオートメーションや“抹茶”のビジネスは思い出深いです。米国人に“健康で美味”な抹茶Drinkを普及させようと展示会に参画したり、NYC、シカゴ、LAのカフェへ売込したり、実際にショッピングモールにショップを作ったり等自由度の高い活動をさせて頂きました。
帰国後、次に赴任したのはインドでした。新興国としてのインドの市場開拓と将来の成長に向けての礎を築く事がミッションでした。インドはその文化が強烈であるが故にインドの虜になりました。2年強の活動でしたがほぼ全州訪問し、代理店、ディーラー開拓に注力。会社として毎年2桁成長を継続する基盤を残せました。国全体がすごい勢いで成長している雰囲気を肌で感じながら毎日をワクワクしながら仕事、生活をさせて頂きました。

(ディーラーコンベンションにて)

(チームメンバーと)

(部下の結婚式にて)

直近はASEANの中で成熟度の高いタイに赴任、販売会社の経営をさせて頂き、会社の責任者としてのマネージメントのかじ取りの難しさを経験させて頂きました。特にタイ人はインド人と真逆と言って良いほど自己主張をしない性格の為、非常に複雑なコミュニケーションが必要とされた事に相当苦労しました。

(タイのディーラーコンベンションにて営業マンと共に)

(メンバーとの新年会)
人間一つの分野に1万時間を費やせばある程度一人前になれると聞いた事があります。私現在50年が過ぎ、人生の折り返し地点を回りました。ESSでの学びを生かしつつ、新たな分野へチャレンジを続けて行きたいと気持ちを新たにしました。

 

 

 

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