【OB近況】今日までの足音  柿﨑紀明(1978年卒)

「光陰矢の如し」、今年6月に40年以上も働いてきた「電子部品産業」の第一線から退き、殊更にこの言葉を実感する日々を送っております。現役時代は東証一部上場の大手電子部品メーカーで様々な経験をする機会を得たられた事に感謝している。海外駐在は通算18年で香港、東南アジア、ドイツ、アメリカで現地法人経営に携わり、仕事としては営業、SCM、製造拠点管理、品質保証、IT/IoT、資材など多くの職務を経験する機会を得たことは自分の財産となっております。電子部品産業の使われる裾野は広く、それが組み込まれているエレクトロニクス機器は、今や日々の生活の多くに入り込んでおります。


最後の11年間は役員を務めたが、最初の8年は営業本部長の役職にあった。その時の思い出で一番心に残るのは、やはり2011年の東日本大震災である。
東日本大震災では、弊社は材料系や製品系の基幹工場に甚大な被害が発生し、裾野が広い産業故に世界中の多くの産業界、如いては日本のGDPへの悪影響も懸念されると言われたりもしました。当該電子部品世界最大手である弊社は、いかなる理由であっても操業停止を長期間続けることわけにはいかない。全社を挙げての文字通り不眠不休の復旧作業がはじまった。
当時私は営業本部長を拝命していたが、地震発生直後の3日間を未曽有の国難に際して弊社はどう対応して何を優先するのかを考えに考え、「人道と復興」をスローガンに掲げることでビジネスの方向性を明確にし、地震の影響で国内外との連絡手段が途絶える中でも、孤立する各拠点が正しく自主判断し易いようにした。つまり、弊社自身が甚大な被災で通常作業が不可能となっていた状態にあるにもかかわらず、「人道と復興」に必要な依頼は全て受け入れると決断したのである。先ずは「人道と復興」への要請に対応するとコミットして、満足に操業できない工場もある中でどう対応するかは受け入れてから考える作業が始まった。
結果として、紙面での詳細は割愛するが、20件程の「人道と復興」に貢献できた。いくつかを例として述べると、断絶された携帯通信網の早期復旧、福島原発事故に伴う緊急再稼働を決定した火力発電所、津波被害の病院医療機器への対応、流された踏み切りや信号機の回復、空港ビル空調機器の回復、被災者の仮住居設備対応、等々。これらの復旧活動は全て一刻を争うものであり、国難に直面する社会の一員として優先的に執り行った。この一連の活動で、市場への陣頭指揮をとらせて頂いたことは大変貴重な経験であった。

また、時代はグローバル化で東日本大震災の復興へ貢献した企業は日系のみならず欧州系や台湾系など多くの世界的企業の方々が、福島原発事故直後でまだ余震が続く短期間に訪日して尽力して下さったことにより達成できた復興であることを記しておきたい。訪日して日本の復興へ多大な貢献をしてくださった世界的企業の役員の方々が涙を出しながら、日本の復興に共に動いてくださったことは忘れがたく今でも感謝している。今後も決してニュースで報じられることはないであろうが、そこには筆舌しがたい凄まじい復旧へのエネルギーが来日外国人を含む我々全員にはあった。ビジネスの世界ではあるが、あの時には当事者と関係者全員がビジネスを忘れて「この大災害に面して自分に何ができるのか?」を問い続けた時でもあった。

役員最後の3年間は品質保証本部長 (CQO, Chief Quality Officer)やIT業務などの管掌役員を務めた。生活基盤を支えるさまざまな機器において高度なエレクトロニクス化が進む中、電子部品にはこれまで以上に高い信頼性が求められております。電子部品が搭載されている自動車や航空機や人工衛星や医療機器や産業機器などでは、一つの部品の不具合が人命に直接影響することに繋がり、品質の不具合はあってはならない事なのです。
当たり前のように現状分析から手掛け、FTA解析、Fishbone DiagramなどQC七つ道具で原因の先にある真因を求め・・などと従来手法を学びながら、其のうちに全く別な切り口での見方もできるようになり、そこから発展させて新たな組織の編成、従来はなかった斬新な分析機器の購入、そして開始したのが、「絶対的品質優位へのチャレンジ」。これは、今でも効果を上げております。短い3年間ではありましたが、非常に貴重な経験となりました。
今後もクオリティーファーストの指導のもとで設計され生産された安全で安心な製品を供給し続けていくと確信しております。
異常気象によるものと言われる豪雨被害が8月下旬となった今日も報じられております.
甚大な被害を発生する災害の度に、その陰ではあの時の自分がそうだった様に、復旧復興に使命感を持って働く産業界の方々が大勢いらっしゃる筈です。更に表に出ませんが、どんな非常事態の最中でも妥協できない品質を守り抜く方々がおります。頑張れニッポン!

人生65年が過ぎましたが、幸いな事にまだ働いております。
この先、どうするのかはまだ明確には決めてはおりませんが、今まで同様に、意図せぬ事態の発生時や新たなチャレンジが必要となった時には、普段は生かされていないで眠っている自分の中の新たな能力が目覚めてくれると思っております。そんな新しい自分に出会うために当面は働こうかなと思っております。

1978年卒業

柿﨑 紀明