1992年卒 桑野 康二(くわのこうじ)「人生いつまでもチャレンジ!無理せず全力で前進あるのみ!」

ご無沙汰しております!または 初めまして!
1992年卒 企画担当副部長を務めておりました 桑野康二です。
この度は、私の近況報告をさせていただく機会を下さり、誠にありがとうございます。
「桑野ってどんな人?」など少しでも知っていただけると幸いです。

【生まれてから大学入学まで】
千葉県船橋市生まれですが、全く記憶にございません。幼少期は中南米パナマでのんびりと南国の陽射しを浴び、毎日、オレンジやバナナを食べ 日々を過ごしておりました。母国語であるはずの日本語は帰国後、幼稚園年長クラスに入って学びました。また、帰国した町は大阪であったため、私にとっては聞きなれない日本語であり関西弁という過酷な状況であったと思います。
感覚、考え方、色彩感覚は独特であったらしいですが、ラテンで育ったためか人見知りせず、すぐに日本文化に溶け込み多くの友人に恵まれながら中学2年生まで大阪に住んでおりました。中学3年生より高校2年生まではベルギー在住。その後、1年間のみ大阪の高校へ通学し、無事関西外大に入学することができました。

【部活動の選択肢】
入学後、クラスメイトからテニスサークルに誘われました。中学よりプレーしておりましたテニスも興味はありましたが、英語に触れる機会が多い部に決めてました。当初、ESSとIGCのどちらにするかかなり悩んだ結果、最終的に、さまざまなセクション活動があるESSに入部いたしました。

多くのセクションがある中、人前で演技する魅力に取り憑かれ、また豊かな表現力を学ぶことができるドラマセクションを選びました。演劇の経験は、小学校の学芸会以来であり、全く経験もなく、演技が得意ではなかったのですが、練習を重ねている間に諸先輩方のご指導の下、少しは上達したのではないかと思います。
ドラマセクションは、文化会にも関わらず、部活動のスタートは、まずABCランニングからスタートし、発声練習などを行い、他のセクションとは異色の活動をしておりました。正直、最初は恥ずかしいと思っておりましたが、少しずつ慣れやがて普通に感じる様になりました。


演劇のみならず全てのセクションにおいても同じだと思いますが、時間をかけて準備した
事をチーム全員で舞台の上で最大限に発表できる喜びや感動は忘れもしません。

1回生全員参加レシテーションコンテスト=人前で話すは緊張しました

セクション改革の一環で、ディスカッションセクションへ移る機会がありましたが、両セクションから得た経験を活かし、社会人になってからも人前で話すことは苦ではなく、現在は社内でスタッフにプレゼンの指導する機会もいただいております。

【常にありがとうと言いたい気持ち】
私は、大学卒業後、海外進出に勢いもあったのでいつかは海外店舗勤務できることを夢見ながら、百貨店で9年間勤務しておりました。

入社後、営業企画課に配属。
その当時の百貨店は、現在と異なり勢いがあり、数多くのイベントが開催されておりました。外商顧客用、子供用、物産展、時節イベントなど含めたお客様向け企画を担当すると共に、管轄外でもありましたが、海外からのお客様のアテンドなど様々な業務を任される機会が多かったです。

入社後6年経ち始めて売場への異動があり婦人服課において、ラグジュアリーブランドショップの担当をしておりました。自分自身では、身に着ける機会がなかったエルメス、ゼニア、バリーなどの販売は非常に難しいと感じる日々でしたが、ブランドを学び、好きになり、どのようにお客様へ気に入っていただけるかを学びました。企画や売場経験が将来役立つとは当時考えておらず我武者羅に朝から晩まで業務に励んでおりました。

待ちに待った海外赴任の内辞もあり、ようやく海外勤務ができると喜んでおりましたが、社内事情の理由で正式に発令されることはありませんでした。社会人の「いろは」を学ぶ機会を与えてくれたことに対して感謝しつつ、どうしても海外勤務をしたい気持ちがあり転職を決意いたしました。

少しでも可能性の高いウエディング会社へ転職し、半年後の2001年3月、オーストラリアへ転勤となりました。これが私の人生の転機でした。余談ですが、息子が生まれた翌月の転勤であり、妻子残して先行しての渡豪となりました。

3年ほどの赴任で帰国するつもりでしたが、あまりにも住み心地が良いオーストラリアを気に入ってしまい、日本への帰国の辞令と共に永住権取得へ向けてローカル企業へ転職し、その後は旅行業界に携わり、観光客のおもてなしをしておりました。

基本的に会社と家の往復という、日本とあまり変わらないサラリーマン生活ではありましたが、日々の生活の中での楽しみは、庭でのバーベキューや子供たちが遊ぶ姿を見ながら近所のオージーたちとビールを飲みながら交流することでした。息子は生後45日で渡豪したため、中身はオージーでした。学校やサッカークラブの友人を通じて親同士の交流などもあり、オーストラリアの生活を送っておりました。

休日は友人と自宅でBBQパーティー

約14年間暮らし、たくさんの思い出が詰まっているオーストラリアを離れ、2017年本帰国を決断した際、セントレジスホテル大阪への転職が決まりました。ホテル業界は全く経験がなかった私ですが、営業部にて宴会と婚礼両部門の担当部署で配属されました。
採用されたきっかけの一つが、百貨店にて企画担当とラグジュアリーブランドを担当していたということでした。ホスピタリティ業界である、百貨店もホテルも同じであることは理解しておりましたが、まさか百貨店時代の経験が活かされるとは考えてもおりませんでした。

セントレジスホテル大阪、フォーシーズンスホテル京都を経て縁あって現在は東京マリオットホテルに勤務しております。東京着任後は、ほぼコロナ禍で、ホテルでは通常オペレーションができない状況ですが、現在は「withコロナ」でどうお客様に喜んでいただけるのかを模索しながら業務に励んでいます。

全てコロナが原因と思うと前に進まない。何でもポジティブに生きなければならないと感じています。その様な状況下でもホテルの宿泊施設やレストランなどをご利用くださるお客様への感謝の気持ち大切にしながら、お客様からも「ありがとう」と言っていただけるよう、常日頃から心がけております。

宿泊のみならず、アフタヌーンティー、ディナーも人気です。某局のTV番組の収録でもご利用いただいた宴会場やレストランもありますので、ぜひ遊びにいらしてください。

セントレジスホテル大阪でのビッグイベント開催直前/スタッフと共に

【今後の私】
東京マリオットホテルを運営しているのは、森トラストグループであり、東京マリオットホテル以外に数多くの施設を保有しております。現在建築中の新規施設を含め、仙台から沖縄まで魅力的な施設が多数ありますので、機会があれば、他のデスティネーションでも仕事をやってみたいとひそかに狙ってます。

「人生いつまでもチャレンジ!無理せず全力で前進あるのみ!」をモットーに年齢関係なく、これからも公私ともに人生を楽しんで参ります!
いつかまたお会いいたしましょう!